Walkin'~チョッと気分を変えて!

このところ、東北関東大震災の恐怖の記事で一杯なメディア報道。

特に、福島原発の大事故は、アメリカ スリーマイル島事故を念頭に入念に開発された筈!
(それとも、バブルの急坂を上る途上で、「オセ、押せ!」といい加減に造成されたのかもしれない!?)

連日のNewsに、枝野さんの素人コメントでなんとかしている間に、悲劇はドンドン増幅していく!
 枝野幸男官房長官がコメントするようなものではなく、もっと専門家が彼の脇で積極的に答弁すべき問題であった。
 それにしても、東電は何をしているのか!?
 東電の幹部の一般市民への巨大にしてあまりある謝罪が必要であろう!
 
 下記にWalkin'のコラムを転載したが、Walkin'でまた知ったこと!
 千葉北西部(今回地震の最西部地区か!?)であっても、連日の原発の無様な東電の様子に、
単純な市民は、「風評」云々はともかく、この爽快な晴れた日にさえ「洗濯物を干して大丈夫!?」、「布団はどうかしら!?」と、心配が絶えない。 また、近所を見渡して、洗濯物や布団を出したり引っ込めたり…と、無計画な停電のうえに、そんなことまで日常に影響が出ている。
 当然、原発近隣の方々の苦悩は考えるに余りあるが、庶民の日常の「物干し」にまで、風評は付きまとう!
 この場面で、感覚違いだが、放射能汚染を感じてはWalkin'も出来ない!
    (因みに、下のコラムは、この大災害の前に書かれたものです)

“ウォーキング”

*老人も自分の足で! 

 先年、日本国民の閉塞感が頂点に達し、自堕落政党「自民党」が国民に引きずり降ろされた。
 政権交代という金科玉条みたいな「民主党」に、その打開を期待した国民は多かったと思う。
 ところが、現状は、閉塞感から絶望感へ、また無党派層への出戻りが多くなっている。
 あの「政権交代」の「民主党」の熱気、国民の期待と、今思えばあまりにも国民は初(うぶ)であった。
 民主党の寄せ集め所帯は、分裂の危機をはらみながら、小澤一郎の剛腕、鳩山由紀夫の完全な「おー、ミスティーク」の無責任、そして市民派で名を売った管直人は、そのひび割れ所帯に腰が引けはじめ何もできない。
 彼ら、政治屋さんは、平成23年度予算と「国民のため」を人質に、今もって世界の笑い物的党利党略の政治ごっこに終始している。
 2112年には、あの団塊の世代が65歳になる。
 その前年の予算でさえ国債発行が41兆円とか…。国の借金が税収を抜く先進衰亡国家の危機。
その翌年にサブ・カルチャーをつくった世代が、ほぼ前世代と同様に、数だけは大量に老人化する。
 昨今、スポーツ・クラブで会う同世代は、
「平成24年には団塊の世代が65歳だけど、年金はどこから出るの?」
「我々の年金が、いくらカットになるのかな!?」
「この不景気にどうしようもなく国債を1千万円ほど持っているけど大丈夫ですか?」
「誰がなっても、無責任な政治屋さん達には期待できない。どう生きていったらよいか…?」
「願いたいのは、北欧のような福祉国家でピンピン・コロリっていうのが一番いいですね」
 といった声が聞こえる。
 戦後、団塊の世代以前に、貧困と食糧事情の悪い時代に育った我々、またその上世代が、年金を危惧し、少ない退職金の残りで余生をどう送るか考えなければならない。
 現代の若者にも希望は少ないが、老人世代は残りの人生を指折り数えながら自分で歩かねばならない。
 PKK(ピンピン・コロリ)のために、年金から会費を払いスポーツ・クラブへ!または、歩くことに健康を見出して二人手をとり歩く老夫婦が多くなっている。

*とにかく歩こう!

 古き時代の老人には、それなりの威厳とか優しさとか、風情があった。
 今の老人は、半ば「楢山節考」世代的な余されかたも垣間見られる。
 老幼三代で暮らしてきた昭和の時代までは、デジタルでなくても卓袱台で一家のコミュニケーションが取れた。
 また、老人、その子供、孫と、それぞれ家庭内での役割、ポジションもあった。
 今、老人に与えられている一家のポジションは、若い世代に縁遠くされ、増える老人世代の文化もなく、ただひたすら「子供たちに迷惑はかけたくない!」と、自分の生命の重さを自分で考え、それなりの健康生活に気遣うだけだろう。
 それは、多趣味な人々、老練な学者などもおられるが、ほぼ大勢は、家族に迷惑をかけないように健康でいることが第一と心がける。
 狭い畑を借りて促成農家になってみる人、漁師見習いになって、その職業を通して健康を保持しようという元気な方もいる。
 しかし、ほとんどの老人は、時の流れの速さに尻を追われて、毎日が翌日に続く。
 それなら健康なことでも…と、昨今多くなったのが、かつてのゲート・ボールが形を変えたグランド・ゴルフ、そしてウォーキング(散策)である。
 私も、フリーランスになってからテニスで足を痛めたこともあって、どう健康を保つかを考えた一人である。
「なんで、運動したり歩いたりするのにお金を払うのだ!」
 と、スポーツ・クラブの存在が不思議だった世代である。
 しかし、あまりにも便利になった現代は、身体を使う・動かすことが少なくなり、そのうえに食料が美味偏重になっていた。
 なにもしないで、食べてダラダラしている老人たちより、中年の男女が運動の場所を求めて流行の端緒となったのがスポーツ・クラブであると、聞いていたが…。
 その一昔前は、朝の病院の待合室は、老人の出会いの場であった。それが今はスポーツ・クラブへと、医療の場から健康維持の場へ移行しているみたいである。
 マシーンの筋肉トレーニング、インストラクターによるフィットネス運動、それにジョギング・マシーンによる有酸素運動でのカロリー消化と、昔は自分の手足と根性で出来た運動が機械化、ビジネス化された。
 そんなお金がもったいないと、歩く人。スポーツ・クラブで毎日の運動はきついからと隔日ごとに歩く人、ジョギングする人と、ウォーキング(または散策)が、老人では、今一番の健康的身体運動であろう。

*季節を歩く

「主なく 廃屋なりし 庭先に
  紫陽花ひとつ ひっそりと咲く」

「落葉踏む 靴音淋し 里の秋」
 などなど…。
 歩き始めてから、様々な場所を散策し、下手ながらも季節によっては、その自然を歌うこともある。
 よく老人係みたいなお医者さんは、「一日、一万歩を目標に歩きなさい。
そのくらいで体脂肪も減るし、ウエストも少しずつしぼられる」
などと勧めてくれる。
 一日一万歩と言えば、私なりの歩数から言えば約8キロ弱の距離になるが、歩き始めは結構きつく一気に歩くものではないらしい。
 我々戦後の貧乏世代は、「ほどほど」ということを知らない。
 筋トレの真似ごとで肩から鎖骨の間を痛めた時も、「ほどほどに!」と医者に言われた。
 昨今の隔日のウォーキングも、
「ほどほどに!」と言われながら、一万五千歩以上を一気に歩き、缶コーヒー一杯の休息で2時間半近く、その距離は13キロほどになる。
「ほどほどに!」と言われると、我々世代は、『一生懸命に!』と理解する。
 そうなると、蒼空のもと、四季の景色の移り変わりに、桜の下で立ち止まって一句、紅葉のもとカサカサ靴音を楽しみ歩くなどと、それが習慣になってしまう。 そして、誠にいけない貧乏性だが、それを義務にしてしまうことである。
 歩くことは健康にも良い。
 蒼空のもと小川べりを歩いていると、また何かとアイデアも浮かぶ。
 普段見られない自然の移り変わりがまだ郊外都市では多々見られる。
 小川沿いに、高価な一眼レフを首に下げ、三脚を手に「かるがも」やあの空色がとてもきれいな「かわせみ」などを被写体に、日長追い求めている老人たちに出会う。
 彼らが必死で追い求めているそんな自然に、カメラ抜きで足だけ頼りの私が時折目にする。残念がる彼ら。
 歩くということで町の推移も知る。「あれ、ここはいつの間にか廃屋、更地、その先は二世帯住宅になっていた」など、人の生命の動きまで知ることになる。
 もう余生幾ばくと言いながらも、自然に触れることでリフレッシュされ、心がいくらか健康になる。
 日本国も、自分の足で歩こう!                              (作家・コンサルタント)

        ~ 「労働と経済」 3月25日号 ~

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