古都「マラッカ」~My Lovely Malaysia Ⅲ

 マレーシアの高速道路は、新しくなったKLIA(クアラルンプール国際空港)から約75kmのクアラルンプール中心部まで1時間足らずで我々を運ぶ。(ご存知のように、東京~成田間は約60km、それをJamでない時で1時間半ぐらいかかる)また新首都プトラジャヤまでは30分ほどとか…

いつも取材で定宿だったMelia KLでは、お馴染みなので「Hi, Kikuo,good morning!」と、ロビーから声をかけると、Boon Yoongは私の部屋まで上がってきたものだった。それから取材先の打合せをして10時頃にホテルを出る。
 
しかし、今回のMandarine OrientalKLはセキュリティも厳しい。部屋のCard Keyをエレベーターの内側のInsert口に挿入しないと自分のフロアーに到達できない。それにエレベーター専用のクラークもロビーフロアーでは笑みを浮かべながらもチェックしている。
Kikuo(本名), are you OK to start?と、コンシェルジェの電話からCallしてくる。
 彼にリクエストしておいた古都マラッカへのRound Tripである。
 私にとってマラッカは、彼と三度目の訪問になるが、Wifeにとってはマラッカはまだ絵葉書のイメージである。


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 彼がマレーシアにいたお陰で、随分マレーシアのコラムも書けた。
 KLを中心に、マレーシアのほとんどの都市、KLを中継点として東南アジアトータルに歩くことも出来た。


 マレーシアのほとんどの著名な場所、ショッピング・モール、広告・マーケティング・メディアなど、そして新政治機能都市プトラ・ジャヤの建設過程まで取材できた。
 著名なところで行ってないのは、観光で著名な旧イングランド時代の名残を残す高価な観光地「キャメロン・ハイランド」と「パンコール島」、それにボルネオ、東マレーシアのビーチ「コタ・キナバル」ぐらいだと思う。

 
 それくらい、私がFootWorkの良かった3年前までは、彼のお陰でコラムが書け、そのマーケのコラムを読んで、マレーシアの留学生からメールをいただいたほどである。
 そんなStrollingしたマレーシアの足跡の中でも、なんとなく鄙びて郷愁を持ったのがマラッカであった。  
 あのスマトラ島との狭いマラッカ海峡は、中東の原油を運ぶタンカーの難所とも言われるほど、狭い海峡にカウントレスなほどのタンカーや貨物船がほぼ日本へ向かう。
 昔からオリエンタルに向かう要所の一つであった。

 
 10月13日 9:30、Boon Yoongの昨年買ったというベンツのWagonでマラッカに向かう。  
 距離にして200km弱か、整備された3車線の高速道路は、およそ2時間で我々をマラッカに運ぶ。
 日本でならおそらく3時間はかかる距離であろう。
 この高速道路の開通のお陰で、過去KLから国内線を乗り継いだペナンやジョホールバルも3時間半で到達できる。
 かつての10数年乗っていたBMWより快調にBenzWagonは高速をマラッカに向かう。

「ブン・ヨン、あのベンベーはどうした?」
「遂に、エンジンがいかれてしまったので買い換えた」
「凄いねー、ベンツかよ、ビジネスは上手く行ってないって言ってたのに…」
「ノー、ベンツの中古の方がホンダより安い。それにWagonは丈夫に出来ているよ」
「そうか、私は日本ではいまだ小型車だよ。えーと、レイチェル(夫人)の凹んだProtonはどうした!?」
「あー、彼女はあのまま乗っているよ」

 高速の快適な走行に比べれば、なんとお粗末になった我が英会話に、Boon Yoongは相変わらずニコニコと応えてくれる。
後部座席では、Wifeが我が英語のヘタになったのに苦笑いをして聞いている。

クルマの中は暑くはないが、高速周辺の樹木がPalm Treeなど熱帯雨林が深くなる。
 途中、一度Parkingに停める。
 日本で言えば、Parkingは「道の駅」などと称して、土産物屋や飲食店で人間同士がごった返す風景だが、こちらの
 Parking Areaはみやげ物というかローカル・フルーツを中心に売る小店や、軽飲食の出来るフードコート、それに人口の半分がほぼイスラムの国、イスラムの小さい礼拝堂がある。
 Boon YoongはPepsiとローカル・フルーツ(あとでHotelで訊いてJank Fruitsといった)を買い10分ほどの休憩後、マラッカへ…。
 あと1時間弱で、あの鄙びたポルトガル領だった頃の史跡を残すマラッカの町である。
 高速から町へ入る途中、Wifeにマラッカの説明をしながら昔を偲ぶ。
 以前聞いたが忘れていた、マラッカはBoon Yoongが生まれて小学校まで過した町だと言う。
 車線の引いていない細い道路をひっきりなしにクルマが通る。
 その間隙を縫って、現地の人々は上手に車を避けて行き違う。
 
 以前、知らなくて、あの絵葉書的建物をフランシスコ・ザビエルの日本布教の途上に経てた教会だと思っていた。
 Boon Yoongとは、従来会話はやり取りで、お互いに重要なことはリピートして訊きあっていたが、そうでもないと感じることは会話の流れに沿ってきた。それが、今Wifeに説明しているのを聞くと、その絵葉書的建物は旧ポルトガル政庁跡で、教会は別の建物であると案内してくれる。

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Oh My God !
 つい先ほどまでザビエルの教会と政庁を同じ建物だと思っていた。

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 狭い道路を行き交う人々は、Boon YoongのようなChinese-Malaysian(華人)の老齢者や、マレー人が多い。 そしてインド系らしき人々…。
 マレーシアの古都であるだけに、政庁跡やザビエル教会近辺はWestern(西欧人)の観光客も多い。

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(ザビエル教会前にあるザビエルと日本人「やじろう」の銅像。教会のインド系のクラークが、「Are you Japanese?」と、我々が日本人だと知ると案内してくれた。)

 その辺りには、東南アジアの中国系の観光地、どこにも居るお爺さんの輪タク、それに金ぴかの露天のみやげ物が目に付く。 日焼けした肌に疲れた老人の土産物屋が…。
 
 KLは、そろそろ雨季近く気温も30度前後で夕方はバケツをひっくり返したようなシャワーだが、マラッカは正に赤道直下近くじっとりと湿っぽい上に暑い(アツーイ)。
 マラッカで育ったBoon Yoongも顔に汗はあまりかかないが、そんな彼も背中でシャツが皮膚と一体化している。
 Wifeは日傘でNo Problems!
 私は、紫外線を顔から頭と放射されて歩いていた。 
 Agingには良くない「皮膚ガン」に注意!
          
               ~ To be continued~

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