〜My Message & My Way!〜

アクセスカウンタ

zoom RSS みんな死ぬ時にはPPK(ピンピンコロリ)で行きたいですよ!

<<   作成日時 : 2012/03/10 18:52   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 1 / コメント 0

昨年の春ごろまでは、古希を過ぎたばかりだが、健康には一応自信があった。

Gymと1万歩程度のWalkin'を隔日ごとに繰り返し、ほぼ体調的な数字はクリアーしていたから!

しかし、頻尿気味で大学病院の「泌尿器科」へ伺ってからわが健康に予期せぬモノが待っていた。

初めは腎臓検査から、採血/採尿、CT ScanにMRI、そして前立腺肥大の「成体細胞採取」検査で入院。

そして「前立腺ガン」と判明!

年齢からして急ぐことはないとの医師の助言ではあったが、例え1.5ミリでも採取した組織から「ガン」が見つかった。

家族は総員で、即手術を要求!

ところが、この前立腺肥大は今や男性ガンの主流の流行病らしく、手術の順番や入院の開き待ちで、9月に依頼して11月末にやっと手術し約3週間の入院!

思ったほど楽ではなかった手術と入院の日々。

昔は、老人の待合話は病院のロビーだったが、今ではPKKを意図する元気さんはSports Clubで、もう健康から見放された人々は大学病院の総合ロビーの半分以上を占めている。

どちらも経験のある私にはやはり「健康」も、その人の運のような気がしてならない!

そんなことを思って書いた駄文です。

お読み頂ければ幸いです1

“現代病、「ウツ」と「ガン」!”

*下山の思想 
 
 バブルが弾けて、丁度その頃、中間管理職であった私達世代は初めて「リストラ」の対象になった。
「リストラクチャリング」〜「再構築」という再生を意図する言葉が、短縮され「リストラ」となり、人員カットの代名詞になった。
 つまり、企業の再構築で一番経費的に高くつくのは「年功序列」から積み上げられた中年、中間管理職の給与という理解である。
 また、在庫の削減、設備の縮小と、企業内のリストラクチャリングを考えると、そこに携わる従業員も不要になる。そうした経過が、「リストラ」=中高年管理職(給与高)及び関連業務の従業員カットとなって現出した。
 その観点から、忘れもしないバブルの崩壊した1991年が、日本「リストラ元年」とも言えよう。
 それから20年、日本という国はエヴェレストの頂上から転げ落ちるがごとく、経済は停滞から衰亡し、それに追随するかのように国債の山を築きあげた。その責任を問われることもなく、自民党の自堕落政治が、「失われた10年」と言われた小泉時代から、また10年、「失われた20年」に喃々とする不況下に国民を追い込んだ。そして「自民党」は、上手い具合に「絵に描いたマニュフェスト」で野党離脱した「民主党」に政権を譲ったのである。
 小泉首相時代に、戦後最長の「好景気」時代、いざなぎ景気(?)というものがあったらしいが、一般庶民はデフレに揉みくちゃにされていて何ら好景気の「おこぼれ」も頂いていない。
小泉〜竹中のアメリカ資本への日本開放「市場原理主義」の導入は、慎重な論議もなく「規制緩和」に走り、労働と資本の流動化を促進させ、富める者、また「お金」担当業種のみが、その利益を享受し、富める者と貧しき者の格差を大きくしたに過ぎない。
その後、そんな「規制緩和」は、アメリカ金融業者に利益を与え、また堅苦しいほど整理されていた労働市場、「雇用」までも大きく変貌させ、一般庶民は誰もその配分を受けないまま、「失われた20年」に至ってしまった。
昨年春の東日本大震災は、日本国民への「絆」意識を高めたが、成長を失った経済はすでに下山の半ばを過ぎている。
以前から、五木寛之の言、巧妙なアルピニストの言葉を引いて、「頂上までの勢いと到達感を考えると、逆に足元の傾斜を見過ごす下山の方が難しい」と、幾度か書いてきたが…。
日本経済は、成長力を失ったのではなく、ある意味で頂上を極め、その下山の途上にあると考えた方が良いのではないだろうか?
経済成長で国民全部が潤った70年代、80年代の後半までは、日本工業立国は世界を席巻した。しかし、今では、電子企業でも、自動車産業でも、欧米で韓国の後塵を浴びかねない状況にある。経済成長=輸出の構図が崩れ、国内産業の空洞化が、アメリカ的な日本をも呑み込み始めている。
そのうえ、国内需要が、人口の減少から徐々に減り始めている。国内外を考えても、今の日本に必要なのは、五木寛之の「下山の思想」。
物質的飽和から自分を撤退させ、これからの幸せはダイナミックで動的なものではなく、在るものは利用し、無い物は工夫して自力で作っていく、ステレオタイプな高度成長時代とは違ったそれぞれ「自分」の幸せを納得する時代になろう。
 果たして「物質的な幸せ」から脱却できるかどうかで、この下山時代の生き方が決まって来よう。

*「ウツ」、そして「ガン」 
 
 人間、高度成長時の欲求が抑制されると、そのエネルギーが歪曲され、メンタル的にもフィジカル的にも、ストレスとなって、今までの物質的幸せと比較して自分を不幸と思う人々が多くなってくる。
 特に、団塊の世代以降、「友達ファミリー」など、家族内の民主化的なサブ・カルチャーで溢れる「モノ」に囲まれて育ってきた世代には、それが大きな課題である。
 生きる価値をモノに見出した若者の「ブランド族」は、その物の保持を誇りにしただけで、その実用価値を知らず、不況期に手放す者も多いようだ。モノ的欲求から切れた若者は、無機質的なデジタル社会に依存し、人間的対話や社会的関係に上手く対応出来ず、メンタル的に不調に追い込まれる。
 パニック症候群とか、PTSD(精神的外障害)、そして自分で自分が判断出来なくなるケースも増えている。
 この失われた20年で一番目立って多くなっているのが自殺である。かつては、交通事故死者1万人と、その撲滅に精出して今や6千人以下という成功を見ているが、一方で自殺者はここ10年ほどずっと3万人を超えている。
 長い不況は、デジタルという効率的なシステムを拡大したが、その半面で人的な対応/対話を黙過して生き甲斐をも失わせているかもしれない。
 昨秋、「現代は、老いも若きも総“ウツ”時代」(いるかネットブックス)を電子書籍で上梓したが、そこには脆弱なパラサイト・シングルのメンタリティー、また若者の「ウツになりたい症候群」、「こんなことでウツになる」などといった、実に現代的な「ウツ」への逃避も含めて書いた。
 私は、この本の副題に「〜ウツと暮らして25年〜」とノートを入れたが、それだけ我々世代の「ウツ」はあの狂奔のバブル期に発病し、パニック症候群から「死にたい思い」まで精神科のテリトリーであり、友人知人や隣近所にも容易に打ち明けられるものではなかった。
 しかし、今では「心療内科」だけでなく、「レディス・メンタルクリニック」とか、昔の暗さ重々しさはなく、チョッと落ち込むと気軽に訪ねられるようになっている。
 そのうえ、我々の時代とは違い、企業自体も、「メンタル云々」には聞き分けが良く、診断書1通で、「どうぞ、どうぞ、無理をせずに!」と、上司は「そのまま来ないで欲しい!」と思う心を抑えて、精神的病への思い遣りが大である。
 それが、極端に言えば、チョッとの落ち込みでも「メンタル云々で休める」と言う若者ファッションになっているとも言う。
 私のように2年以上死ぬ思いをして、行く先々の病院で「中間管理職の心身症など病気ではない!」と言われた日々に隔世の思いがある。
「ウツ」がメンタルの大病なら、フィジカルで相変わらず「死因」の3分の1になっているガンも様変わりしている。
 昔は、患者本人に「あなたはガンです」という非情は避け、家族に囁いたものと聞いていた。今ではそんな「無理な配慮」はなくなったようである。
 私的な事例で恐縮だが、私自身、昨年6月頃に頻尿から大学病院の「泌尿器科」を訪ねた。先ずは腎臓の検査、前立腺肥大検査、それに伴う「ガン」の有無の各種検査を受けた。その上、検査入院の結果、生体組織採取検査で「ガン」が見つかった。その時、「ガン」ということは私と家族に告げられ、その対応治療法を例示し、「ご家族で判断して下さい!」ということであった。
 今、前立腺全摘出で、ガンを排除したものの2〜3年は経過観察のもとに置かれる。でも、ガンと言われて嘆くでもなかったし、恐れることも忘れていたが…。ただ、手術中は麻酔で夢の中だったが、その後の数日の痛みは、また「ウツ」と違った短期的な激痛であった。そして、退院後も半治療状態。

*健康という幸せを! 
 
現代の2大病を経験して、生命への自覚は深まった。これも加齢から来る日々への確かさの追求であるが、「健康である」こと自体が、どこまでを言うのか、今になると頼りなさを覚えることもある。
 スポーツ・クラブで運動し、また日々のウォーキングで健康を意識していた日々が、今回のガンではすっ飛んでしまった。
 スポーツ・クラブも10年ほど前と比べると、圧倒的に高齢者が増えている。陽射しの温かな日に川原をウォーキングすると、老夫婦との擦れ違いの挨拶が数回はある。
 健康で老いたい。PKK(ピンピン・コロリ)で、子供たちには迷惑をかけたくない。
 みんなそんな気持ちで健康に心がける。
 私も、スポーツ・クラブ通いやウォーキングの日々に、健康には幾らかの自信を深めていた矢先にガンとの対面である。
「運動していてメタボにはならないでしょうが、骨や内臓の病気は別問題ですよ。特に泌尿器は定例の検診はないですから」とのお医者さんの言葉。
 正にその通りである。また、それだけに年齢もあって生命への重さも深まる。
 健康という、ほぼ誰もが「みんなそう思っている幸せ」も、もう一度確かめ直すことも必要である。健康の維持は、日常の幸せの延長線上にあると思って、素朴に感謝すべきかもしれない。
物質的保有の有無も、その幸せも、健康が前提である。
無意識に「健康」であることを忘れて過ごす日々が多い若い時代から、先ず「健康」である幸せに感謝の気持ちを持とう!
                                   (作家・コンサルタント)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
VISVIM サンダル
みんな死ぬ時にはPPK(ピンピンコロリ)で行きたいですよ! 〜My Message & My Way!〜/ウェブリブログ ...続きを見る
VISVIM サンダル
2013/07/09 23:34

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
みんな死ぬ時にはPPK(ピンピンコロリ)で行きたいですよ! 〜My Message & My Way!〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる