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zoom RSS 「安全という神話」、野田さんは大丈夫!

<<   作成日時 : 2011/10/07 18:04   >>

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野田さん、あなたはどちらかというと前々首相夫婦のようにキンキラのセレブ好きで阿呆の見本みたいでもない。

また、市民派が先行し、激情が思考を征し、党内の乱れ、野党の好餌になった前首相とも違う。

松下政経塾卒では、目立たなかったらしいが、庶民的で中庸な方らしい!?

しかし、挙党一致で小澤派を征して、野党との攻防にも尻尾を出さない。

しかしである。

財務相時代の公務員宿舎や何かと、自党の売り物であった「事業仕分け」で凍結された国家公務員宿舎建設を解除、庶民的反応を勘案して、また5年凍結と・・・、苦労人ではあるらしいが、またぞろ財務相時代の解除物件が出始めている。

野田さんの地味で賢明な姿は、あの菅さんの正直率直よりお利口さんで「八方美人」!

そう言えば、福島が世界に注目された「東北大震災」の福島原発Versionへの具体的な話は出てこない。
ぶら下がり取材を拒否してるだけに、余計「安全神話」のお話が、彼の口からは出にくくなっている。

大変でしょうが、国家財政の状況から「増税」検討も庶民の暮らしを考えて進めるべきであり、その前に「国会議員歳費」(世界的な高給)のカット、それに民間よりも3〜4割も高い公務員給与の是正、そして国家資産の売却と、
誰でも分かることから先にやって欲しい!!!

それと並行して、「東電」が、長年、いかに自民党と癒着してたかを糾弾するとともに、神様だけが「安全」という神話の裏側をキチンと把握し、本当の安全を庶民に与えて欲しい。

昨今、「安全神話」と「福島原発」の活字も小さくなるか、一面に出ないことも多い。

安全という真実を国民に提供できる首相になって欲しい。

そんなこんなの思いを書いたのが下記のコラムである。
長く読みにくいでしょうが、庶民という気持ちを共有して欲しい!


    “安全という神話”

*福島で起きた人災
 
 東京電力には日本経済成長の起爆剤的な驕りはなかっただろうか!?
 その福島原発操業が今から40年余り前の事だから、当然、まだ広島と長崎の原子爆弾の被爆は遠い日ではなかったはずだが…。
 政治と経済は、良きにつけ悪しきにつけ、「国家」を、「国民」を彼らの勝手な「存在」として無視することもある。
 東京電力は、日本経済界の後ろ盾みたいなつもりで、自民党は三流政治と言われながらも、その高度成長経済の尻馬に乗っていた。
 そんな東電は、戦後日本復興の牽引車の役割として、政治はそれを後押しするように癒着してきたのではないだろうか!?
 今ここで東電を糾弾するのは、「安全神話」の裏側である「危険現実」を安易に考えて国民に知らさず、国家はエネルギーなしでは成立しないが如きに、当時の長き怠惰な政権「自民党」と庇い合う添え寝にあったようである。
 つまらないことかもしれないが、自民党に18億献金して東大の教授になった役員がいるとか、当時の通産省のお役人には政治家経由の圧力も有効であったとも聞く。
 なんのことはない東電は、自民党という長い政権の座にある自民党のご都合主義を共有する「党電」であったのかもしれない。
「安全」という裏には危険が潜むのが人間界だけでなく自然においても言えることである。つまり、安全を強調することは、裏に潜む「危険=リスク」も大きく、それだけに「安全」を叫ぶのが常である。
 東電の原発管理能力が完璧であろうはずがなく、それだけにアメリカのスリー・マイル島の惨事、そしておそらく日本エネルギー業界はその管理の杜撰さを笑った1983年の旧ソ連のチエルノブイリの大惨事さえ教訓になっていたはずである。
 安全と言いながら、その「安全」とは表面的にはなにもリスクがなく過ぎていたということであって、その裏の「危険」、長期的な大惨事に遭遇していないだけであった。「東電」、そのサラリーマン的原発関連の人々も、その点では素人であったのではなかろうか…。
しかし、スリー・マイルがあり、そしていまだに処理に苦慮しているチエルノブイリの現状を知りながら、その経験を学習してなかったとしたら情けない!?
 何人も経験ないことは、外から学習するか、自分でその結果をシュミレーションして、将来に備えるはずだが、東電の今回の福島原発の惨事は、過去の経験も、彼ら自身の安全に対する防備も、すべて絵空事だった無責任なものだと思わずにはいられない。
 再度言うが、「安全」の裏側には「危険」が潜むから「安全神話」などと言われ、人の油断と杜撰さが人災を呼んでしまったのである。

*広島は、長崎は、「今」
 
 戦争終結にはあまりにも無謀なアメリカの最後の一策が、原子爆弾の投下であった。
 昭和20年8月6日の広島、9日の長崎への原子爆弾の投下は、今では考えられない非戦争住民に対する暴挙の投下であった。
 もう、竹槍で飛行機を落とすしか術のない日本国民に…。
いかな軍国主義の軍人でも、これ以上の犠牲を望まない昭和天皇の無条件降伏の「御言葉」に逆らうことは出来ない。
 あの8月15日正午の昭和天皇の戦争終結の「御言葉」を引き出したのは、あまりにも人間を超越した原子爆弾の投下であった。そしてその投下は、なんら非のない一般市民に大いなる絶望として降りかかったのである。
 その言葉では表現の出来ない市民の犠牲の数々。
 走って逃げようとする人の影が、投下の被爆光のもと街路に焼き付いてしまっているとか、被爆した人々が重なりあったまま溶けてしまった影が出来ていたとか、今は悲惨な語り部もいなくなるほど遠くなってきたが…。
 その後66年経って、被爆が「偏」の違う被曝として、福島の原発不祥事として起こり、「安全神話」の裏を大きく見せてしまった。
 安全神話は、戦争という広島、長崎の原子爆弾投下の悲劇ではなく、原子力の平和利用という美名のもとで加速する成長経済の牽引車であった。それが生憎にも、経済が減速してから起こるという一層の悲劇にもなった。
 広島では、菅直人首相が、「脱原発」から「減原発」と経済界に遠慮したひとり言を、もう一度「原発のない社会へ」と訴えた。しかし、辞任寸前の筈の彼の言葉は、列席した人々の心を打つほどではなかった。
 そして、9日の長崎の原爆記念日。
 オバマ大統領の核絶滅ノーベル賞の影響もあり、アメリカからは初の代表ズムワルド主席公使が派遣された。それとともに、海外からの出席者は44カ国にのぼった。
 また特筆すべきは、この3月の人災被曝地福島からの高校生43名の参加であった。
 このところ政治ショーに流れそうになって来た「原爆記念日」を、奇しくも住む愛土を失いつつある若き次世代が現実に引き戻してくれたような気がする。
 決して、原子力を政治・経済のご都合的な「安全神話」でひと括りにしてはいけないことを、彼らの将来から考えよう。
 政治と経済の協調的な原子力への「安全神話」は、「神話」のまま風化して「人災」を惹起したことをもう一度肝に銘じよう。
 政治も、エネルギー政策の無能から「原子力」に逢着してはいけない。経済もコスト効率だけから「原子力」に再度「神話」を作らないように考えたい。
端的に言えば 長期政権の無能が、無責任が、人災という惨事の拡大に繋がった。
 66年前の戦争終結の一策とまで言われる広島/長崎への原爆投下は、正に非常時の窮余の一策であった。
 しかし、その語り部も絶えそうな今年の福島原発の事故は、平和利用を考え抜いた末の「人災」だったのであろうか…。
現在の中国にもその片鱗が見受けられるが、彼らも高度経済オリエンテドで走ってきた。これまでのスピード、コンビニ志向への反省へと、近い将来福島と同じ大事な時期に至るはずである。今の災害から人災とまで言われる福島原発の大惨事は、そんなスピードとコンビニ的拙速でイージーな経済第一主義を再考する前に、神から与えられた思索の事件であり、時間ではないであろうか…。
それにしてはあまりにも大きな犠牲だが、それだからこそ、ここで次の犠牲を「速度」と「便利」と「容易」という現代スピード社会で考え直す意義があると思う。
広島/長崎の「原爆」政治ショーのセレモニーで終わらない為にも、福島は平和という表現の上で起きた神話を崩さねばならない。

*平和利用という話

 「無理が通れば道理が引っ込む!」。
 原子力と高度成長経済のこれまでは、そうであったのではなかろうか…?
 人間が便利になるという前提で、人間性を破壊した無理が道理を引っ込めたと言える。
 そんなアナログ論議をしていても仕方がないが、先月中旬以後、しばらくはその被告人もどきの人々も、メディアの急先鋒から逃れたようであった。
「なでしこジャパン」のW杯の優勝である。
 ほとんどの国民が、彼女たちがW杯でドイツに向かったのを知らなかった。しかし、その決勝報道、優勝報道は、貧困政治に疲弊した国民の目を見張らせ、大いなる元気を与えた。これぞ、人間そのものの活性化、平和利用であろう。
「なでしこジャパン」世界制覇で10日ほどは大ヘッドラインから逃れた東電と貧困政界。
 ホッとした「なでしこジャパン」の世界一快挙に、しばらくは心を慰められた国民。 力づけられた被災地の人々。
 彼女たちの個人技、チームワーク、それにメンタル・パワー。
 それこそ、原子力の平和利用で経済復興と、まだ原点に戻って考えられない政治屋諸氏には、彼女たちの人間力の成果を学習させるべきだと思う。
 今度は、平和利用の次の安全神話を考え始めている政経人。困ったものだ!
 NYに居を移した世界的音楽家坂本龍一さんが、「脱原発で穏やかな平和な社会へのタイムスリップも必要。『三丁目の夕日』で生きることの方が人間らしい!」とも言っている。
 そして今、被災地の復興もままならぬのに、菅直人首相の辞任、民主党代表の再選が、永田町を駆け巡る。また下らない話題である。
民主党の政権交代は、杜撰な鳩山由紀夫に始まり、秘書が「悪党」という本を上梓するほどの「悪人」小澤一郎でまた人心を引き離し、窮余の一策か、人災「福島原発事故」で、素人宰相菅直人がなんとか粘った。
 しかし、それも足並みそろわず、彼の辞任で一新しようという。
 被災も復興も上の空の小粒な代表候補が、民主党という失敗政権の中を飛び回っている。
 誰がやっても、また国民は政治離反しそうである。お願いだから、もう政治には、裏のある神話作りは止めて、あなた達それぞれが「平和利用」の見本になって欲しい。
                               (作家・コンサルタント)

       〜 「労働と経済」9月25日号より 〜

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内 容 ニックネーム/日時
ドジョウさんはあの異様な缶屑よりはましでしょうが、朝霞の件程度で財務省に丸め込まれる程度の人に期待はできないでしょう。歴代そして取り巻きも含めてとても芯があるようには見えませんし、民主党そのものが存在する意味があるようには思えません。民主党ですべてのものの政治も企業も実態の空虚さを露呈してしまった、指摘されるまでもなく、原発の捏造された安全神話の成れの果てがこの未曾有の福島の人災、影で動いてきた者たちまで知るよしもないが、東電トップは田園調布に豪邸を構え、やめ社長は2億の豪邸をお買い上げと、刑事責任を問われるでもない現実。まして、いかなる詭弁を弄して経済至上でも原子力の平和利用といって使用済み核燃料は廃棄できる燃料でないものを継続それもこの地震大国で出来るわけもないことにどう屁理屈捏ねるつもりやら。これほどの事態にも飯の種を優先して悪びれもしない神経が、人の命なぞ知ったことないという世界唯一の被爆国。なお原発事故の収束などメドもなく先の先に薪が花火が福島組み立て橋脚を使うのかと原発事故の深刻な実態を曇らせる人たちの異様なクレームの恐ろしさ。この国難に使い物にもならない民主党政権というめぐり合わせの悲惨、かとて自民も自民で、そのお粗末を指摘するブログnikaidou.comにまたお先真っ暗...限界国会は限界国家へ...所詮は人への幻想を持つものではないのかも。
彷徨える日本人
2011/10/07 23:14

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